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さっぽろ藤野ワイナリーは「Japan Winery Award 2023」にて★★★をいただきました。

ストーリー

Story

3時のおやつはぶどうでした

3時のおやつはぶどうでした

札幌で生まれ、札幌で育ちました。昔住んでいたのは中央区や豊平区です。昔、定山渓鉄道の駅があったのですが、そのすぐそばに住んでいました。退屈になるとよく父や母が電車に乗せてくれて、遊び場みたいなものでしたね。定山渓にもよく行きましたよ。

定山渓鉄道はかつて札幌市中心部と定山渓温泉を結んでいた鉄道。定山渓温泉の発展とともに旅客数を延ばしたが1969年に廃止となり、バスに転換された。唯一の旧駅舎「石切山駅」の建物が南区石山に現存する。現在は「株式会社じょうてつ」となっている。

父は精肉業を営んでいて肉の卸をやっていました。体があまり丈夫でなく、自分の健康のためもあって野菜づくりが好きでした。今で言う家庭菜園みたいなものですね。そのために郊外に土地を買って畑をやっていたほどなのですが、そこに私の好きなブドウを頼んで植えてもらっていました。小学校に入る前くらいだったと思います。ブドウ棚を作ってもらい、毎年ブドウができるのが楽しみでしたね。果物の中でもなぜかブドウが好きだったんです。昔から北海道にある、ナイアガラやキャンベルといった種(たね)のあるブドウです。噛むと酸っぱいので、私は種ごと飲み込んじゃいますけど。

北海道のブドウの生産量は山梨、長野等に継いで全国で6番目。生食で食べるナイアガラ、キャンベル、スチューベンなどの品種が多いが、近年ワイン用ブドウの栽培も増えてきた。かつては北海道では育たないと言われてきた巨峰やシャインマスカット等の大粒ブドウも生産されるようになってきている。

さっぽろ藤野ワイナリーの歴史

さっぽろ藤野ワイナリーの歴史

私と弟、妹の三人兄妹です。妹と弟はけっこうお酒を飲むのですが、私はあまり飲めません。グラス半分くらい飲むと眠くなっちゃいます。

弟と弟の奥さんはよく二人でワインを飲んでいましたね。「ワインを造るよ」と言いました。弟は「そうか、ワインを造るのか」と。弟は60歳のときに体を悪くしました。弟のためにも体にいいワインを造りたかったのです。弟にも試飲はしてもらいましたが、製品となった最初のワインには残念ながら間に合いませんでした。

完成をとても楽しみにしてくれていたのですが、墓前にそなえることしかできませんでした。2009年、弟が亡くなった年に私たちの最初のワインができました。今でも弟には毎年、「こんなワインができたよ」と報告しています。

私の主人が不動産関係の会社をやっていたのですが、病気で倒れ、仕事を弟が継いだんです。でもそれから2〜3年して今度は弟が倒れ、主人もその後亡くなり、結局、主人の会社は私が継ぐことになりました。それまでは主婦でしたから、やったことないことばかりです。全く人生何があるかわかりませんね。

伊與部社長

ワイン造りは会社とは全く別の話で、ヨーロッパ旅行に行ったとき、フランスで見た光景が深く心に残ったからです。シャトーがあって、その周りにブドウ畑があって、そこでワインを造っている。階段をつたって行くと、そこでブドウが甕の中に入れられている。夢のある、なんとすばらしい生活なのだろうと思いました。いつかはこんな生活ができるといいなぁと、それからずっと思っていましたね。

亡くなった主人は庭作りが好きで、いずれは庭を作ってみたいと藤野に土地を確保していました。石を買ったり、庭木を植えたりして準備していました。そこからパークゴルフ場も始まっているんです。こちらはもう30年になります。パークゴルフが十勝で発祥してすぐくらいでしたから、北海道でも先駆けでしたね。

「ヴィーニュ」(※フランス語でブドウのこと)というレストランも作りました。やっぱりブドウが好きだったんですね。私は石や木よりも、やっぱり食べるものを作りたい希望がありましたから、そこで父が野菜を作ったり、私がブドウを植えてみたりしました。ブドウはワイン用も含めて250本くらいの苗を最初に買ったのが始まりですね。最後はワインを造ってみたい、という気持ちがどこかにあったのですね。

パークゴルフは1983年に「公園で簡単に楽しめるゴルフ」として北海道十勝地方の幕別町で考案された。普通のゴルフと違い、使うクラブは1本、ボールも大きめ。スニーカーや普通の靴でプレーでき、料金も手ごろ。全国に愛好者が多いが、コースは北海道がいちばん多い。藤野ワイナリー隣に「エルクの森パークゴルフクラブ」があり、ワイナリーの2階からはきれいに整備されたコースを眺めることができる。

レストランヴィーニュはさっぽろ藤野ワイナリーに隣接するレストラン。生パスタやピザなどが人気のイタリアンレストラン。もちろん藤野ワイナリーのワインも飲める。

レストランヴィーニュ

ブドウを植えて5年くらいすると、だんだんと採れるようになってきたんです。生で食べる他に、レストランでジュースにしたりジャムにしたり、いろいろやってみました。そうするうちに、「これはワインも造れるかも」と思うようになり、勉強を始めました。農家に聞いたり、近くのワイナリーに勉強に行ったりするようになりました。その頃はいろいろな人が勉強に来ていましたね。当時主婦だった5つ違いの妹も連れて行きました。今では一緒にワインを造っていますよ。

私は生まれも育ちも庶民の家です。商売をやっていたので、父母のことは見ており、商売は忙しいもの、たいへんなものということは身を持って体験していました。食事は、勤め人の家庭のようにみんな一緒に食べられることはほとんど無くて、バラバラでしたね。

私の場合は、お酒を飲むからワインを造りたいということではないんです。フランスで見たような、ワインを造るということ自体に憧れがあった。できたものを飲みたいというより、醸造するというプロセスが素敵だと思ったのです。

ヨーロッパで見たぶどう畑にはバラが植えてありました。バラが病気になるとブドウも病気になるから、それを早く見つけようということなんですね。そんな風景を見てまた「なんて素敵なんだろう」と。そんなことを聞きかじったんですけど、花も好きなので私も植えてみようと。思い込みというか、影響を受けやすいのかもしれません。思い込んだのはワイン造りだけですけど。

ブドウはバラ類ブドウ目ブドウ科に属す。同じような病気にかかり、バラはブドウより繊細なので、早く病気を感知する役割があると言われている。昨今はその役割よりも、かつての名残でブドウ園の景観のために植えられているものも多い。

さっぽろ藤野ワイナリー

さっぽろ藤野ワイナリー

友達に会うと「将来はワインを造ってみようと思うの」と話していました。だいたい「ふ〜ん」という感じです。でも、口に出しているといつか叶うのではないかと思ったり、嘘つきにならないようにしなくちゃと、ますます意志が固くなっていくんですよね。

近くのワイナリーで勉強しているときに出会ったのが、近藤良介さんです。この出会いがあったから、今の藤野ワイナリーがあります。私だけではできなかった。二人で試行錯誤し、醸造免許が取れたのは私が60歳のときです。

近藤 良介(kondo vineyard 代表)。さっぽろ藤野ワイナリー 取締役。藤野ワイナリーの醸造の基礎を作る。その後、独立し現在三笠市にある「kondo vineyard」代表を勤めながら、藤野ワイナリーのワインも監修する。

そして、次の出会いが浦本忠幸さん。札幌市内で開かれたワインの試飲会に当時大学生だった彼が来ていたんです。なんか中学生みたいな風貌でね。ワイン飲ませていいのかしらなんて思いましたが、聞いたら大学生とのこと。「へ〜、学生なのに珍しい」と思いましたが、うちのワインをずいぶん試飲していったんです。そしたらその後、ある日電話がかかってきて、「ワイン造りを学びたい」と。

近藤 良介

近藤さんに対応してもらいましたよ。近藤さんのアドバイスはとにかく「やめた方がいい」と。なんで北海道大学の理学部を出てまでワインを造るんだと。たいへんな仕事だということを、近藤さんはいちばん身を持って知っていましたからね。ずいぶん説得してましたよ。たまたまうちの娘も聞いていて「あんだけ言われたら嫌になるよね」と言っていたくらいです。

それでも懲りずに、浦本さんはフランスにワインの勉強に行き、帰ってきたらまたやって来たんです。近藤さんも彼の本気度がわかったのか、弟子のような形で彼に教えることになりました。近藤さんの子どもの家庭教師しながら、泊まり込んで勉強していましたね。この二人と巡り合ったことが、私のいちばんの財産だと思っています。今は二人とも、うちのワインをしっかり面倒見てくれています。

浦本さんも独立しましたが、今でも藤野ワイナリーのメンバーです。自分の城を持ちながら自分が関わるワイナリーを何軒か持っているのもいいのでは、と勧めています。ちょうど北海道でブルースさんがやっているようにね。二人の才能や知恵を自分のところだけで使うのではなく、監修するワインがあって、あちこちで協力してもらればいいんじゃないかと思っています。

ブルース・ガットラヴさん。岩見沢で「10R(トアール)ワイナリー」を営む。アメリカ生まれで、栃木県の「ココ・ファーム・ワイナリー」に関わったのが縁で日本に。日本では馴染みの薄かった野生酵母での醸造を行う。そこで、同じワイナリーに醸造の勉強に来ていた近藤さんと出会う。ブルースさんの影響を受けた北海道のワイン生産者は多数。

浦本忠幸

私は「愛されるワインを造りたい」という気持ちはありますが、二人と出会ったことでそれが実現されたような気がします。私はがつがつする性格ではないので、ワインを楽しく飲んでいただき、そしてお褒めいただいたりすると本当に嬉しいんです。私自身は辛口の、食事に合うワインが好きですね。そして楽しく飲みたい、そんなことしか考えていません。

ワイン造りには人柄が出ると思います。近藤さんも浦本さんも穏やかで、人とぶつかるようなことはありません。彼らの造るワインは本当に優しい。緊張してワインを飲まなきゃいけないなんて、おかしいでしょ。美味しいな、幸せだな、と感じてもらえればいいと思うんです。二人とも私のことが心配で、断れなくて面倒見てくれていると思うのですけど本当にありがたいことで、彼らが嫌と言うまでは今のままでやってもらいたいと思っています。

さっぽろ藤野ワイナリー

あと数年で私も80歳になりますが、寿命のある限りこの仕事を続けたいと思っています。毎年、ブドウがどう育ってくれるか、花がどう咲くか、野菜がどう育つか、こればかり考えていますよ。そして冬になると畑が終わり静かになって、本を読んだりする。北海道は冬の休める時間がいいですね。ずっとそういう生活でしたが、それが楽しい。人生の終わりまでこういう生活ができたらいいですね。毎年同じことの繰り返しだけど、退屈ではありません。規模を大きくすることもあまり考えていません。いろいろ無理をしなくちゃいけなくなりそうで、無理をするのが無理なんです(笑)。もうすぐ冬ですね。これから漬物を漬けなくちゃ。鰊漬けです。毎年つくってます。

人に喜んでもらえることに気持ちを向ける日々、どういうことをすると人に喜ばれるか、どう話すとわかってもらえるか、とけっこう考えてますよね。そういうことが大事なのかなと、この年になって思います。畑の仕事も若いころは大変だと思っていましたけど、最近はこんなに楽しいことはないと思うようになってきましたね。

誰か熱意のある人が跡を継いでくれるといいですね。ワインは100年事業ですから。中学1年生の姪っ子が、大人になったらおばちゃんの跡を継いでワインを造るなんて言ってくれていますが、何十年も先の話ですからね。私が楽しそうに見えるのかな。でもね、そういうふうに見てもらえるのなら嬉しいですね。周りにいる人に夢を与える、夢を見てもらえるのは幸せなことだと思います。こんなに幸せなことはありません。

さっぽろ藤野ワイナリー